2021年8月24日(火)
帰り道、秋の虫がリーリー鳴いていて、あっ夏終わったやんと思った。すると、じわじわと寂しさのような虚しさのようなものが湧いてきて、なんとも言えない気持ちになる。高1の夏に見た風景がまぶしすぎて思い出してしまう。延々と続く田園地帯をケッタこいで、空が広かった。夏が終わっても、秋には体育祭やら文化祭があって楽しかった。放課後の教室の空気感も思い出せる。窓から差し込む光の感じとか。夏の終わりの寂しさなんて感じる暇もなかった。
あの頃の記憶を共有できる人が物理的にそばにいないことがとても寂しい。そんなことを考えていたら、地元の友人からLINEが来て驚いた。エスパーかよ。たまにこうして絶妙なタイミングで連絡をくれて、物理的に距離はあっても、精神的に救われる。「元気?」その一言で泣きそうなくらい嬉しくなる。本人はそんなこと微塵も知らないやろうけど。・・・ありがとね。
2021年8月21日(土)
夜、YouTubeでフジロックの配信を視聴。観客を入れての開催には賛否両論あるけど、無事に終わってくれるといいなと思う。ナンバーガール、かっこよかった。いつも飲みながらステージに立つ向井さんも、マスクをしたままステージに現れ、酒は飲まず、演奏が終わったらまたマスクをして袖へはけていった。2年前の8月には、Aちゃんと日比谷野音に再結成したナンバガのライブの音漏れを聴きに行って、膝から崩れ落ちて泣いていたな。またあんな日々が戻ってきてくれることを祈ることしかできない。
2021年8月20日(金)
漫画『ゴールデンカムイ』が面白くてハマっている。ああ〜誰かとゴールデンカムイトークしたい・・・!と思っていたら、職場の隣の島の人たちが楽しそうにゴールデンカムイトークをしていて、思わず耳をダンボにして聴いてしまった。「“谷垣ニシパ”って口に出して言いたくなるんだよね〜」という言葉に心の底から共感。
2021年8月18日(水)
久々に晴れ間と暑さが戻ってきた。夏らしい青空と、背中をさす太陽の熱。朝から汗だくで駅へ向かう。電車の窓から見える空が気持ちいい。なんとなく体調がいまいちだったのもあり、気持ちも鬱々としてしまっていたので、晴れるだけで嬉しい。昼休みに外へ出ると、日差しは厳しいまま。日傘をさして歩いているうちに、ぽつり、ぽつりと雨が降ってきて、あっと思った瞬間、ざーっと雨足が強まった。コンクリートの濡れるにおいがむわっと立ち込める。宇多田ヒカルの『真夏の通り雨』を思い出した。
2021年8月16日(月)
お盆も仕事頑張ってくれていたから、と上司がお昼ご飯をご馳走してくれた。とは言っても、皆で一緒に食べるなんてできるわけもなく、デリバリーで届いたハンバーガーを自席で黙々と食べる。去年の今頃も同じようにデリバリーして、あのときは広い会議室でソーシャルディスタンスを保ちつつ、皆で和やかに食べたな。今年になって、あのときよりも感染者数が増えて、事態が何も良い方向へ向かっていないだなんて。冷めたポテトをぐいぐい胃に押しこみながら、雨降りの午後。夕方には雨が上がり、買い物をしてケッタで帰る。空は暗くて、ふと風が木々を揺らす音が鮮明に聞こえた。夏、終わってまうなと思った。
2021年8月14日(土)
全国各地で大雨の被害が出ている。岐阜も雨が降り続いていて、ネットで地元の川のライブカメラを見ると、更新するたびに水位が上がっていく。不安になり親に電話すると、「そんな大したことないから大丈夫やよ」とのこと。自分の頭の中で悪い想像がどんどん膨らんで、不安ばかりが大きくなっていく。テレビでも岐阜の様子が映っていて、友人の住む町の川が越水したと報道されていた。友人の家とは離れた場所だから大丈夫と思いつつ、気になってLINEをしてしまう。案の定、取り越し苦労だった。自分がよく知る地名がテレビに映るとびくびくしてしまう。九州も、親戚が住んでいるから心配。何も手につかないまま、1日がすぎてしまった。ここ数年、毎年大雨で気持ちが滅入ってしまう。
雨の心配で母と電話をしたら、近所の方が亡くなったという話を聞いた。事故だったらしい。近所の人といえども話したことがないので顔が分からないけど、母が色々としんどい時期に心配してくださったり、気にかけていただいたらしい。母は少し声を詰まらせていた。母を助けてくださって、優しく気を遣っていただいて、本当にありがとうございました。いつどこで死ぬか分からんから、お母さんも歳やし、色々気をつけてねと母に伝える。自分もそう。明日も生きてると当たり前のように思っているけど、当たり前は当たり前じゃない。久しぶりにそのことを思い出した。ご冥福をお祈りします。
2021年8月6日(金)
職場では今週多くの人が2回目のワクチン接種に行っており、ほぼ全員発熱して休んでいる。昨日接種を終えた40代の上司がけろっとした顔で出社し仕事をしていたので、副反応がない人もいるんや…と思ったら、案の定夕方になって体調を崩し、ふらふらしながら早退していった。
2021年8月5日(木)
今朝は雲ひとつない青空。電車から見える空はどこまでも清々しい。ふと、今年は地元の花火大会のことを思い出さなかったな、と思った。毎年8月1日になると、実家のベランダで母が犬を抱っこして花火を見ている姿を思い浮かべていたのに。開催の有無を事前に調べていたわけではない。もう、”ない”って、決めつけていた。無意識のうちに。この感覚に慣れすぎている。人が集まるようなイベントは、楽しいことは、ない。少し悲しくなった。
2021年8月3日(火)
夜の風が生温くて気持ちいい。ずっとこんな感じならいいのに、と思う。真夏の田んぼ道をケッタこいでいたころを思い出す。
2021年7月28日(水)
お盆は帰ってこんの?という地元の友人からのLINE。誰かが自分の帰りを待ってくれているというのはありがたい。
2021年7月26日
学生は夏休みか、ということに朝気づく。駅までの道のりがいつもより寂しかったから。電車も少し空いているような気がする。今日もまた夕暮れの空がきれい。信号待ちの間ぼーっと空を眺めていると、同じ方向を向いてスマホで写真を撮っている人がいた。話さなくとも、あの人とは同じ気持ちを共有できたんかなぁと思うと、少し嬉しくなった。
今日、Twitterでは「手のひら返し」がトレンドに入っている。五輪開催反対を唱えていた人が、選手を応援したり、メダル獲得に喜ぶ姿に向けられた言葉。わたしは開催に対して不安な気持ちがあったし、無理矢理開催に漕ぎつけようとする組織委員会や政府や東京都に不信感を抱いていたけど、真剣に競技に向かう全ての選手には頑張ってほしいと思う。これも手のひら返しなんやろか。SNSでつぶやいたり、主張したわけではないけど、なんとなく胸につっかかるような感じがした。
2021年7月21日(水)
仕事帰りに東京駅へ。丸の内出口の外に、オリンピックまでのカウントダウンが表示されるオブジェが建っており、その前で写真を撮る人たちが何人もいた。「あと2日」。いよいよ、このときが来てまったんやなぁと思う。自分も何枚か写真を撮り、中央線に乗って千駄ヶ谷へ。完成した新国立競技場をまだこの目で見ていない。オリンピック開幕が目前に迫り、何だかこの目で見たいという欲求が出てしまった。新国立競技場へ向かっても、何があるわけでもない。建物が立っているだけだと分かっていても、行かねばと思ってしまった。千駄ヶ谷駅を降りて、左手の道は封鎖され、通ることができない。仕方がないので、東京体育館を横目に見ながら外苑西通りを目指して歩いていく。駅周辺は少し物々しい雰囲気。大会関係者と思われる人たちも多く、外国人の姿も見られた。東京体育館交差点まで来ると、巨大な新国立競技場の圧倒的な存在感を感じる。写真を撮っている人たちが何人かいて、わたしもシャッターを切った。サラリーマン風の男性に、「TOKYO2020の文字が入るように写真を撮ってもらえませんか」と頼まれた。にこやかな表情を見せる男性に、「はいチーズ」と声をかけ、そのときは不思議と穏やかな気分になった。外苑西通りを南に向かって歩いていく。巨大な競技場は外壁に囲まれて、建物の上部しか見ることができない。月とホープ軒の灯りが煌々と輝いている。仙寿院交差点も封鎖されて左折できず、ここで折り返す。競技場に向かってスマホを向ける人たちに混じり、ぼうっと建物の方を眺めていると、白い服を着た集団が建物の外の階段を降りていく姿が見えた。選手なのか関係者なのかは分からなかったけど、中にはこちらに向かって手を振っている人たちもいて、なんだか泣きそうになってしまった。あちらから見えるのかは分からないけど、手を振ってみる。来日した外国人選手や関係者を心から歓迎できない。この大会に対して、何やってんだという憤りもある。けれども、自分は何もしていない。今ここにこうしているのは不要不急の外出であり、無力感に苛まれる。新国立競技場は、立派な建物だった。わたしも、ここでパラリンピックを観戦する予定だった。なす術もなく、また千駄ヶ谷駅へと戻っていく。帰りの中央線の窓からは涼しい風が入ってきた。
2021年7月19日(月)
梅雨が明けてから、夕暮れの空が綺麗。19時近くになっても明るく、ピンクとオレンジと水色が混じって、夕暮れなのか夜明けなのか、空なのか海なのか、ぼんやりとあやふやな色をしている。最近は、この時間の空を見るのが1番いい時間。帰宅後、朝からツイッターで話題になっていた藤本タツキの読み切り漫画『ルックバック』を読む。電車の中で読んだけど、余韻に浸る暇もないまま駅に着いてしまい、もう一度落ち着いて読みたくて。現実で起こった事件を彷彿とさせるような描写が痛々しい。主人公が「もしもこうだったら」という空想の世界から、辛く苦しい現実世界へ戻ってくるページが重く、ぐっと内臓が掴まれるような気がした。今日のニュースは、小山田圭吾氏がオリンピック開会式の作曲担当を辞任。鹿嶋市が、市の小学生がサッカーの試合の試合を観戦する際に持ち込む飲料のスポンサーを指定し保護者から苦情殺到。お台場の海はトイレ臭。合宿中の海外選手がコロナ陽性・・・。今週末には開幕するオリンピック。だんだん、何も感じなくなっていく。台風の通過をただじっと待っているような、そんな自分になっていることが情けなく、虚しい。
2021年7月15日(木)
日を追うごとに、蝉の声が大きくなる。仕事中、給湯室に寄ってふと窓の外を見ると、夏らしい大きな入道雲が見えた。わたしの好きな夏。でも、楽しくない、夏。
2021年5月18日(火)
一日中、除湿機や衣類乾燥機について考えている。仕事中も職場の人たちと、「湿度が高くて体がだるい」とか、「頭痛がする」という雑談。いつから気候に体調が左右されるようになったんやろか。10代、20代の頃は気づいていなかっただけか。公園に咲いているハルジオンが、いつの間にかだいぶ背が伸びている。頭の中にバンプの歌詞が思い浮かぶ。
2021年5月17日(月)
暴風の朝。東海地方までは梅雨入りしたという。一年の中で苦手な季節がやってきた。気圧のせいかなんとなく息苦しいし、髪の毛は湿気を含んでもわもわして憂鬱。帰りの電車でスマホをいじっていると、前に立っていた学生さんが単語カードを捲りながら勉強していて、なんとなく恥ずかしくなってスマホをしまった。代わりに、カバンからよしもとばななの『デッドエンドの思い出』を取り出し読書。恐らく15年ぶりくらいに読んでいるけど、こんな話やったっけ?と不思議な感じ。10代の頃に読んだ本は、どんな話だったか忘れてしまったものも多い。江國香織の作品とか昔よく読んだけど、ぼんやりしてるからまた読み返したいな、とか考えていると、西の空が海みたいな青。とても綺麗だった。
2021年4月21日(水)
朝から日差しが強く、いつにも増して近所の緑の彩度が高めに映る。半袖でもいいくらい。夏の気配が近づいてくるような、まだ少し遠くで様子を伺っているような、じりじりした感じ。仕事中にも、同僚と「暑い・・・クリームソーダ飲みたい・・・」とぼやきながら、ウーバーイーツで職場まで届けてもらえないかなぁと、無駄な想像力を働かせてしまった。3度目の緊急事態宣言が発令されそうだけど、「別に何も変わらないよね」という雰囲気。もしオリンピックがなかったら、もっと集中的に人々の行動に制限をかけ、給付金も配れたのだろうか。もしもの話をしても仕方ないし、コロナがなければオリンピックは楽しみにしていたので、複雑な気持ち。
2021年4月20日(火)
先週と比べて、道端のツツジの花がだいぶ花開いている。ハルジオン、オオイヌノフグリ、タンポポ。春の花は穏やかで好き。名前のわからない、オレンジ色の花はだいぶ枯れてきてしまって寂しい。朝、信号待ちのバイクの人が幼稚園バスにさりげなく手を振っていて、なんとなくいいものを見たなという気持ちになる。わたしも信号を渡り、普段とは逆の歩道を歩いて駅までの道を行く。今日は夏日で、日中は25度くらいまで上がったらしい。昼休みに、あまりの暑さに体がアイスコーヒーを欲したけど、昼休み終了ギリギリまで本屋を彷徨いてしまったため断念。カズオ・イシグロの「Klara and the Sun」の装丁が素敵だったなと印象に残っている。
2021年4月8日(木)
朝の通勤時間が1番好きやなぁと思う。緑の彩度が上がってきて、ポピーがかわいく揺れている。椿の花はほとんど落ちて、土に還ったのか風に飛ばされたのかどこにも見当たらない。
2021年4月5日(月)
冬が、何かを思い出したかのように戻ってきた。そんな寒い1日だった。花冷えとはこういうことやろか。桜はもうすっかり葉桜になってしまった。昼にモスバーガーでご飯を食べていると、BGMでCOLDPLAYの「VI VA LA VIDA」が流れ、その後にビリージョエルの「Honesty」が流れてびっくりした。どちらも思い入れのある曲だから。COLDPLAYは上京した頃聴いていて、ビリージョエルは高1の音楽の授業で聴いた曲だ。人生で1番楽しかった時期を選ぶとしたら、上京した頃と高1は間違いなく選ぶ。あの頃、近くで一緒に過ごして楽しい思い出をつくってくれた人たち、もう全く連絡をとらない人もいるけど、元気にしてるかな。元気にしていたらいいなと思う。
2021年4月4日(水)
久しぶりに、1日中雨が降っていた。駅までの道のり、濡れるからバスに乗ろうかと考えたけど、雨に濡れた木々を見るのもいいかもしれないと思い、いつも通り徒歩で向かうことに。案の定、足元も服も濡れたけど、レインブーツと撥水スプリングコートが活躍してくれた。しとしとと公園の緑は湿り気を含み、水分を含んだ空気は軽くはないけれど重たくもない。もう4月も中旬、気がついたら夏になっている気がする。
2021年3月30日(火)
職場近くのパスタ屋さんにお昼を食べに行った。いつも同じメニューばかり頼むので、たまには違うものを頼んでみようと思い、揚げナスとトマトのパスタを注文。涙が出るほど美味しかった。モッツァレラチーズがたまらない。至福のひとときを過ごし、職場へ戻る途中、かわいいコーギーが散歩をしていて思わず凝視。信号待ちをしている間、ふと前方を見ると宅配業者のおじさんがわたしと同じようにコーギーに釘付けになっていた。いいですよね、犬好きですか?と心の中で問いかける。しかし、感覚的には水曜日なのに、まだ火曜か。今週は何故か長く感じそう。年度末の空気感。
2021年3月23日(火)
いい天気。今朝は朝マックしようと決めていたので、眠たいのをこらえて少し早起きをした。起き抜けの身体にホットコーヒーが染み渡る。通勤電車の窓から見えるのは、真っ青な空と桜のピンク。春やなぁ。「ちゃんと話してなかったけど、卒業することになりました」と、異動する人から声をかけられた。知ってますよ~と笑ってはみたものの、寂しいです、と正直に伝えた。苦笑いになっていたと思う。夕方、ずっとシュレッダーが動いていて、使い古しのクリアファイルがわんさか出てくる。こんな社会情勢だから送別会ができないのが残念で仕方がない。お酒飲みながら、笑って、もっと話したかったです。
2021年3月22日(月)
よく行くドトールにコーヒーを飲みに行ったら、見かけない店長さんが接客をしてくれた。いつもの店長さんはお休みなのか、もしやこの時期だし異動でもしたのか。一方的によく知る顔の人を見かけると安心するから、(スーパーやコンビニの店員さんもそう)いないと寂しい気持ちになる。たまに給湯室で話す隣の部署の人は、異動で今のところから離れてしまうらしい。なんてことのない、たわいもない話をするだけの仲やけど、それでも少し寂しい。給湯室で手を洗っていたら、外は夕方の曇天だった。帰り道、雨がぽつぽつ降ってきて、ケッタをモリ漕ぎして帰路を急ぐ。街灯に照らされた桜を見て、なんとなくナンバーガールやな、と思った。
2021年3月19日(金)
近所の桜の芽がだいぶ膨らんでいて、もうちらほら咲いている木もある。白木蓮の花は満開。小学生が、図工の作品と思われる絵や紙袋やらを抱えて、重たそうにしながら、でもどこか楽しそうに下校していた。今日が終業式やったんかな。今日は、早めに仕事を切り上げて帰る。三月の金曜日の夕方、この時期特有のさわさわした雰囲気。大きな荷物や花束を抱えている人たちを見かけた。お疲れさまでした、と声をかけたくなる。職場でも異動などあり、少しずつ寂しい空気が近づいてくる感じ。春は、いくつになっても好きとはあんまり言えんなぁ。
2021年3月15日(月)
仕事帰りにケッタを漕いでいると、折れそうなほど細い月が浮かんでいた。地元では今の時期になると、四月の祭りに向けて夜にお囃子の練習が始まる。10代のころ家で宿題をしていると、笛の音や「あーおっ」という掛け声が聞こえてきた。それと同時に、山からは“春の匂い”がしてきて、その感じが今ではすごく懐かしい。“春の匂い”は、沈丁花の匂い。昨年はコロナウイルスで祭りは中止になってしまったけど、今年はどうなるんやろか。今年こそは、地元に帰りたい。家族や友達に会いたい。
2021年3月2日(火)
気圧のせいか、マスクをしていると息苦しい。雨上がりの地面と生温い空気が少し春の予感を含んでいる感じがする。仕事帰りに雨に降られ風に吹かれ、春の嵐かと思う。朝の暖かさは何やったんや、コートを着てきてよかった。
2021年2月21日(日)
5月の陽気と天気予報が言っていた通り、コートがいらないくらい暖かい日。近所の梅が咲いていて、おばさんがガラケーで写真を撮っていた。花粉のせいか鼻水がズルズル。せっかく天気がいいからケッタを漕いで出かける。昨日1日家から出ず、なんとなく悶々として気分が下がってしまい、やっぱり外に出るのはいいなと思う。ケッタ日和で風が気持ちいい。偶然近くを通って気になった喫茶店に入ったらスマッシュヒットで、居心地がよかった。マンデリンも程よい苦味で美味しい。桜のチーズケーキも控えめな甘さで美味しかった。先日購入した餅井アンナさんの「へんしんふよう」を読む。流れているクラシックが何の曲なのか気になって、何度かShazam(アプリ)で聞き取りを試してみたけど、うまくできず分からないまま。帰りも普段通らない道から帰ったら、好きな雰囲気の道を見つけて嬉しくなった。まだ知らない東京がたくさんあるなぁと思う。
2021年2月1日(月)
朝、外に出るとヒェッと変な声が出るくらい寒くて、もっと温かい格好すればよかったと後悔しつつ出勤。パラパラと小さな雹のようなものが降ってきて、あー傘持ってないとまたもや後悔。久しぶりに職場へ行く気がする。なんやかんやで仕事すれば1日はあっというま。帰りに、スーパーで今夜の夕飯どうしようと考えるのが面倒。あーブロッコリーが安いわ〜と思い、とりあえず買ってみたもののブロッコリー料理は作らなかった。いつになったら、今日はこれが安いからあれを作ろうと思いつけるようなデキる人になれるんやろう。
2021年1月28日(木)
朝、カフェでモーニング。平日の朝に来るのは初めてだったけど、お客さんが次々やってきて、店員さんがパタパタと忙しそうに駆け回っていた。店員さんたちが互いに声を掛け合って、連携が取れて人間関係が良さそうな雰囲気が伝わってくる。コーヒーを持ってきてくれた店員さんも、ニコニコして、マスク越しでも優しい雰囲気が伝わってきてほっとした。家だとなかなか集中して作業ができないので、コーヒーを飲みながら撮影した写真のデータの整理。いつまで経っても苦手で後回しにしてしまう作業。
2021年1月24日(日)
陸上系YouTuberのたむじょーくんの動画を見て泣けてくる。一生懸命なひとってどうしてあんなに美しいんやろう。元々、たむじょーくんがYouTube活動を始めた昨年3月頃から、雑誌やSNSでその存在は知っていたけれど、「へ〜、元帝京の子かぁ」くらいにしか思っておらず、なかなか動画を見ることもなくここまで来てしまった。最近になってようやく、ちょっと見てみるかという軽い気持ちで見始めたら、次から次へと再生ボタンを押す手が止まらない。もう完全に親戚の子を見守っている気分。マラソンに向けて、頑張ってほしい。
2021年1月19日(火)
仕事帰り、ケッタを漕いでるとめちゃくちゃ風が冷たくて、今日は星がよく見えた。きっと空気が澄んでいるんやろう。テームインパラいいなー。最近好きでよく聴いている。「Lost In Yesterday」のミュージックビデオが何回も見ていられる。
2021年1月18日(月)
毎日、しっかり生活したいという漠然とした願い。久しぶりに近所を少し走った。適当に作ったポークソテーを、美味しい美味しいと旦那さんが珍しく絶賛してくれて、驚きと喜び。誰かのために作る方が楽しい。自分のためにはできない。
2021年1月12日(火)
今日から職場はテレワークの人が増えて、社内は人が少なめ。東京は雪が降るとテレビで言っていたけど降らず。寒いけどこれくらいなら平気。
録画しておいた箱根駅伝絆の物語を見てまた陸上熱が上がる。頑張る人はいい。とても美しい。田澤廉はどうしてあんなに堂々として自信があってかっこいいんやろう。
2021年1月11日(月)
寒い。明日は東京でも雪が降るらしい。特に用事もないのでステイホーム。録画していたテレビを見たり、陸上関連の情報を集めたり。しかし、1日家に篭っていると気持ちが滅入ってきてしまう。元気がないわたしを見て、旦那さんがピザを買ってきてくれた。ありがたい。
2021年1月8日(金)
緊急事態宣言が発令されたけれど、電車の混雑ぶりは特にいつもと変わらず。職場では来週からテレワークを増やすとのお達し。来週からの体制に備えてあれこれ確認。しばらく寂しいな。
2021年1月6日(水)
友達から、突然の引っ越しの連絡。地元に帰ることになったと。突然すぎて実感も何もない。最後に会ったのは、昨年の夏ごろ。新型ウイルスの感染者も増えている状況で忘年会や新年会もできないまま・・・まぁまたすぐに会えるだろうとたかを括っていた。別れはいつも突然。笑顔で見送りたい。
2021年1月5日(火)
今年初の出勤日。職場は全員出勤していた。緊急事態宣言はどうなるんやろか。小学校時代の恩師から年賀状が届く。「ひとつのことを続けていて偉い」とメッセージ。写真のこと。偉くなんかない。中途半端にしかやれていない。先生、偉くなんてないですよ・・・と心の中で呟く。箱根駅伝関連のニュースを見ていたら、優勝した駒澤大学は田澤廉選手が主将、山野力選手が副主将。新3年生コンビ。最近は、4年生でなくても主将に任命されることが珍しくなくなってきた。時代やなと思う。わたしも頑張ろう。
2021年1月2日(土)
第90回の箱根駅伝を初めて現地観戦して以来、毎年箱根駅伝には足を運んでいたけれど、今年は運営からも沿道での観戦の自粛が呼びかけられていたためステイホーム。自宅からテレビとラジオを聴きながら応援した。散々の呼びかけがあったにも関わらず、沿道に人が集まっている様子を見て、わたしも行きたかったのに…という悔しい思いと、想像力や他人を思いやる気持ちがないのか…という憐れみの感情がぐるぐると頭の中で渦を巻いていた。結果は創価大学が初の往路優勝。優勝候補と前評判が高かった青山学院がまさかのシード権外。駅伝って、何が起こるか分からない。個人的に注目していたのは、2区を走った駒澤大学の田澤廉選手。日本選手権の疲れが残っていないだろうかと心配だった。7人抜きの素晴らしい走りだったけど、本人としては悔しい結果の様だった。大八木監督の言葉も厳しかった。それほど期待されているということ。悔しい思いを糧にして、明日からの力に変えてほしい。母校の東洋は大健闘。鉄紺カラーに象徴される、愚直で泥臭い走り。あまり目立ってはいなかったけど、堅実に襷を繋いだ。明日も怪我やアクシンデントなく皆走れますように。頑張れ。
2021年1月1日(金)
元旦の朝も快晴でした。テレビでニューイヤー駅伝を観戦。富士通優勝おめでとうございます!SGHの佐藤選手、強かった…!歳が近いので親近感。20代に負けず、頑張ってほしい。箱根駅伝で活躍した選手たちが世代を越えてニューイヤーの舞台で戦っている姿を見ると胸が熱くなる。夕方に少し近所を散歩。普段通らない道を歩いてみたら、猫がたくさんいる公園を見つけた。写真を撮らせてもらい、夕飯の買い物をして帰宅。久しぶりにキムチ鍋を作った。味付けはキムチと味噌のみでシンプルに。母が作ってくれた味に近づけただろうか。LINEで、実家の犬の動画が送られてきた。年末に帰れないから、とおやつをたくさん送ったのだけど、それをぱくぱくたべている様子が見られて嬉しかった。今年も一年、健康に過ごせます様に。いよいよ明日は箱根駅伝。
2020年12月31日(木)
大晦日の空は快晴。天気予報によると、岐阜は雪が降っているらしい。
体感的に、2020年は9〜10ヶ月しか過ごしていない感覚だ。緊急事態宣言が発令された時期、仕事が自宅待機になってしまったせいかもしれない。梅雨の季節になれば、湿度が上がってウイルスが減るのではないかとか、夏になれば、さすがにこの状況も落ち着くのではないかとか、そんな期待を重ねては裏切られ、東京都の感染者数は増えていく一方だ。人との価値観のずれを痛感させられたり、著名人の方が感染が原因で亡くなったり。ウイルス関連以外でも、今年は自分にとって悲しい出来事がふたつあった。「いつかまた会える」なんてふわっとした期待は幻想であること。「いつか」の曖昧さ。改めて感じる、突然やってくる別れの悲しさ。いつも忘れかけてしまう、忘れたくないと強く思ったはずなのに。
午後、遅めの昼食を済ませ、駅までの道のりを歩く。光がきれいで、ああわたしの好きな光の感じだと思った。何枚か写真を撮ってみたけど、うまく撮れている自信はない。でも、シャッターを切ったことに意味があると思いたい。感じたことを形に残すため行動する、簡単なようでわたしにとっては簡単ではない行為。
今年も一年、生きられた。たくさんの人たちのおかげで。ありがとうございます。また来年もお世話になります。皆さま、良いお年を。
2020年12月21日(月)
年末に開催が予定されていたカウントダウンジャパンの中止が決定したというニュース。行きたいなと思いつつ、感染者数の増加が気になってチケットを取るか悩んでいるうちに完売し、仕方ないやと思っていたところだった。音楽フェスやアーティストのライブは一体どうなってしまうんやろか。音楽に携わる人たちは、とても苦しい思いをしてるんやないやろか。ギリギリまで主催者も悩んだやろう。音楽でたくさん救われてきた自分は、何ができるんやろか。今一度考えて、少しでも行動できたらと思う。
2020年12月12日(土)
友人宅へ行った帰りに、途中下車でラーメンを食べて、そのあと電車に乗らず、レンタルサイクルに乗って家まで帰った。昼間しか通ったことがない川沿いの道は、橙色の外灯の灯りがきれいで少し感動した。スマートフォンで写真を撮ってみたけれど、肉眼で見るようには写らなかった。きれいすぎて、きれいに写らない。
2020年12月6日(日)
夢に中学の同級生が出てきて、目が覚めて懐かしい気持ちになった。特別仲が良かったというわけではないけれど、時々夢に出てくる同級生たち。(なぜか当時仲良かったグループの子は夢に出てこない。)夢がきっかけで、思い出す。元気かな、今どこで何してるんやろか。もし今ばったり会っても、何話したらいいのか分かんないな。思い出話をするにしたって、わたしが覚えていることを相手も覚えているんやろか。そもそも、わたしのことなんて覚えてないんやないか。こういう夢を見るたび、わたしも誰かの夢に突然出てきて、誰かに懐かしく思われたりすることがあるんかな、と思う。いい思い出として、思い出されたらいいけど。
なんだか最近、自分が自分でなくなっていくような妙な感覚がある。おそらく、岐阜に帰れないから。ずっと東京にいるのが怖い。あの土地に帰らないと、あの場所の空気を吸わないと、わたしは自分になんの価値もないような気がしてしまう。大袈裟かもしれないけど、そういう感覚がある。
2020年12月2日(水)
今年の年末は実家に帰れない。箱根駅伝も観戦にいけない。となると、もうどこへも行きたくないし誰とも会いたくないし何もしたくない。気持ちがどんどん、内へ内へと向かっていってしまう。雨と寒さにやられたのかもしれない。
2020年12月1日( 火)
去年の今頃は仕事が割とバタバタしていて、そのときの雰囲気がなんとなく昨日のことのように思い出せる。あの日の会議室の空気感とか。1年、あっというまやったなぁ。
2020年11月26日( 木)
今朝は外に出るともやがかかっていて、吐く息が白くて少し驚いた。体感的には「ちょっと寒いな」と感じる程度だったけど、気温は低いらしい。近所の柿の木の柿もだいぶ落ちてしまっていて、落ちて潰れてしまった実をなるべく踏まないよう歩く。職場に着くと、休暇をとっていた人からのお土産が置いてあり、わざわざメールまで届いていてほっこり。割と集中できたので、午前中に気になっていた仕事を大方終わらせた。母からの「コロナに負けたらあかんよ」というメールを読んで、そうやなぁと思う。マスクして、人と会う楽しみを我慢して神経使って、気付かぬうちにストレスが溜まっていってしまう。普通通りに過ごすことの難しさ。ニュースはあまり見ない。なんだか暗い気持ちになるから。また冬が来て、コロナ禍も1年が経ってしまう。いつまでこんな生活が続くんやろ。これが当たり前の世界になってまうんやろか。考えてもどうしようもできないから、手洗いうがい、マスクして消毒して。そんな日々を続けることしかできない。
2020年11月15日(日)
久しぶりに好きなお寿司屋さんへ。大将からサービスで、卵焼きとでっかい鉄火巻きをいただいた。食べ終わってお茶を飲んでいると、大将がいろんな話をしてくれた。大将は自分の仕事に誇りと自信があるんやろなぁということが伝わってくる。まっすぐな生き方がにじみ出ていて、うらやましくなる。
2020年11月9日(月)
突然頭の中に流れてくるPierrot(ピエロ)の曲。
モニター越しに〜♪
CD、実家だ。次帰省したら持ってこよう。(毎回思って、忘れている)
2020年10月3日(土)
ONE PIECEを読むのがはかどる。最新刊を買うたびに、ああどんな話やったっけ全然思い出せんなぁと思いつつ惰性でなんとなく読んでいたので、空島から読み返しているのだ。
2020年10月1日(木)
帰り道、月はきれいで、どこからか金木犀の香りがした。友達にLINE。
2020年9月30日(水)
仕事で新宿に行ったので、仕事終わりに紀伊國屋書店の上にあるディスクユニオンに寄った。なんと、800円以下のCDが5枚以上で更に半額というとんでもないセールが開催されており、閉店ギリギリまで粘って吟味してしまった。ほくほく満足。
2020年9月29日(火)
18時半にはもう外は暗いし、風はすっかり秋やし、なんとなく地元の秋の空気感を思い出したり。中学のときの文化祭の練習で遅くなった帰り道も、こんなふうに暗くて風が冷たくて。でもどこかわくわくするような、あのころは、寂しくても寂しくなかったと思う。楽しかったな。あの頃、中学で歌っていたゆずの「飛べない鳥」が聴きたくなる。
2020年9月25日(金)
有給明け出勤。とりあえず今日を乗り越えればまた休み。午前中はあっというま、昼に入った鳥料理の店の親子丼が美味しくて嬉しくなる。給料日だからと調子に乗って、喫茶店のテイクアウトで温かいカフェラテ。美味しくて幸せ。
2020年3月2日(月)
近所のドラッグストアへマスクを探しに行くと、二十歳くらいの女の子が「生理用品ひとつもないじゃん!ったくふざけんなよ!」と友達と話していた。憤りたくもなる、気持ちはとてもわかる。マスクも生理用品もトイレットペーパーもティッシュも何もない。こんなこと、数ヶ月前には予想もしなかった。諦め、怒り、嘆き。心が少しずつすり減っていく感覚。空気は徐々に春へと変わってきているのに、気持ちは晴れぬまま。
2020年2月29日(土)
早く普通の穏やかな日々に戻ってほしい。誰かのことを思いやる心を忘れたくない。自分さえ良ければいいなんて思うひとではありたくない。
2019年11月29日(金)
友人に、恋人を紹介された。そのひとは外国の出身で、会話は英語。「紹介したいから、英会話勉強しておいてね!」と言われ、はいはいと返事はしたものの、まさかこんなすぐに会うことになるとは。ハーイ、ナイストゥーミーチュー。ハウオーダーユー?くらいしかまともに話せなかった。すごく悔しい。友人は独学で英語を学んだと言う。そもそも、その恋人と出会う前から勉強していた。努力家で向上心があって尊敬する。
短い時間だったけど、会えてよかった。友人もニコニコしていて、ああこのひとと出会えてお付き合いして、幸せなんやなぁと思った。次また会うことがあれば、もう少し自分の言葉で話したい。ほったらしの英作文の本を、またちょこちょこ読み返さねば。
2019年11月27日(水)
スーパーで会計を済ませ、袋に食品を詰め込んでいると、カゴの中に購入した覚えのない1本のきゅうりが。わたしの前に会計をした人の分だろうか?わたしもレジのおばちゃんもきゅうりの存在に気がつかなかったらしい。それほど、きゅうりは緑のカゴに同化していた。近くにいた店員のおじさんに声をかけると、誰かの忘れ物ですねぇと苦笑いしていて、わたしもつられて笑った。
2019年11月1日(金)
昨夜は風呂に入らず寝てしまい、起きて早々後悔の嵐。慌てて支度をし、小走りで駅へ向かう。昨日も一昨日も気がつかなかったけれど、近所にまるまると橙に光る柿がいくつも実っていた。こんな写真を地元で撮ったな、とふと思い出す。
お昼、同じ部署の若者とランチに行き、恋人ができたという話を聴きニヤついてしまう。アプリで知り合ったらしく、時代だな…と感心してしまう。わたしも今20代だったら、そういうツールを使って出会いを求めていたかもしれない。それか地元に帰っていたかもしれない。とにもかくにも、幸せそうにニコニコしていて、とても微笑ましかった。仕事終わりに「写真新世紀」を見に恵比寿へ。新世紀は毎年見に来ているけど、今年はまた雰囲気が違うなという印象。全国のアメダスを撮影していた人、わたしの地元でも撮影していた。地道な行動力に説得力が増す。いい刺激になった。
2019年10月31日(木)
水で薄めたような色の空。買ったばかりのコーデュロイパンツを穿いて仕事へ。「今日はサクサク仕事が進むね」と、同僚と笑い合う。バタバタする時期を乗り越えたので、今日は気持ちに余裕があっていい。
お昼に寄ったカフェの店長がハロウィンの被り物をつけていて、シュールなんだけれど可愛くて思わず笑いそうになった。ランチのおまけでマシュマロをもらう。口に入れると、甘くてなんだかきゅっとしてしまった。
最近疲れがとれにくく、ずっと眠たい。歳のせいか季節のせいか。年末調整時期、毎年どう書くんやっけ〜と手こずっている気がする。義務教育のうちに習いたかったことのひとつだと思う。
2019年10月30日(水)
今朝は、朝起きてカーテンを開けると外が真っ白だった。ついに冬がやってきた。
駅までの道のり、とりとめもないことを考える。職場へ着いたらあれを確認しなきゃとか、昨日読み終えた本はいまいちだったなとか、友人の家の猫の名前はなんだっけとか。駅に着く頃には白い霧は晴れて、街の輪郭がはっきりと見えた。太陽の光があつい。
太るからと思って昼食に揚げ物を食べるのを我慢したのに、夕食に揚げ物を買って帰ってしまった。昼間は我慢した自分を偉いと褒めたけど、結局プラマイゼロになってしまう。いつまでたっても、目の前の欲望に勝てない。
街でクリスマスの飾り付けを見かけて、なんだか胸がすんとしてしまった。もうそんな時期か、と毎年同じことを思ってしまう。ハロウィンの時期かぁと思っていたらあっというまにクリスマス、気がつけば年を越してお正月、やれバレンタイン…こうして時は流れていく。
2019年10月2日(水)
ふとした瞬間に、夏の終わりに退職した人のことを思い出す。給湯室でカップにお茶を入れるとき、いらない紙をシュレッダーにかけるとき、お手洗いで石鹸をプッシュするとき。
「あぁ、慣れたなぁ」と少し寂しくなる。いるのが当たり前だった。いなくなるとわかって寂しくなった。でも、それでも毎日は続いていくし、仕事は回る。何の問題も起きていない。
過去にわたしが去った職場も、きっとそんなふうだったんだろうなと思う。どうにかなっていく。わたしがいなくても、それが当たり前になって、いつしか存在は忘れ去られていく。
それでも、たまには誰か思い出してくれないだろうか、なんて思うのは図々しいかな。あの人もあの人もあの人も、みんな元気にしてるといい。わたしも、なんとか元気に過ごしているよ。
2019年10月1日(火)
仕事が終わったあと、ひとりで「天気の子」を見に行った。すごく綺麗な映像で、心が洗われる。新宿、田端、池袋・・・馴染みのあるよく知る東京の風景。RADWIMPSの曲。高校生のころ、グレーの制服を着て、MDウォークマンで聴いていたのも、RADWIPS。東京と、10代の記憶と、いろんな想いが混ざり合った。「グランドスケープが好きなんだよね」と連絡をくれた友達に、「映画見たよ」と連絡をする。わたしには、世界よりも大事なもの、あるやろうか?
2019年9月30日(月)
週末、調子が悪すぎたせいで、今朝はなんとなく気分が重かった。朝の空気がすっかり秋めいて、湿度も低く爽やかなことだけが救い。
仕事は順調。新しく入った事務の人とも上手くやれていると思う。あーだこーだ小言を言い合いながらタスクをこなしていくのは、楽しいとも言い切れないけど悪くはない。仕事中はなるべく温かいお茶を飲むようにする。今日も行きつけのドトールは混んでいて、親切な店員さんには1週間会えていない。ほぼ定時で退社。
最寄り駅に着くと外は真っ暗。ついこの間まで、この時間はまだ明るくて夏の夕景が綺麗だったのに。スーパーで野菜と肉とマヨネーズを買う。帰宅して、慌ててクリーニングへ。明日から消費税が10%になってしまう。駆け込みで自分のワンピースと旦那さんのスラックスをだす。明日から、1000円のものを買えば1100円。高い。増税反対、と思っていたけど、どうにもならなかったな。もっと政治に対して関心を持っていれば、何かアクションできていたら、と少なからず後悔はある。
野菜スープと新作の肉団子のトマト煮込み。ネットには簡単にできるレシピがたくさん載っていて本当に便利。いつもより少し早めに帰宅した旦那さんと久しぶりに向き合って夕食。早く帰ってくるとご飯も作りがいがある。片付けもテキパキこなすことができた。今日は元気があるほうだな。グレイプバインの風待ち、いい曲。
2018年11月26日(月)
歳をとるたびに、新しい音楽を探す意欲が減っていくなぁと数年前から感じていて、以前友人と飲みにいったときにそのような話をしたところ、「もうこれまで聴いてきた音楽で満足しているんだよね」という結論がでた。10代、20代で出会った音楽が素晴らしく、強烈で、もうそれで十分なんだよね、と。
動画サイトやSNSの普及により、10年、20年前に比べたら音楽に関する情報は本当に手に入りやすくなった。小学生の頃、アーティストの新曲を聴くために、ラジオの前でカセットテープの録音の準備をして待機したし、発売日にCD屋へ駆け込んで、手にした新しいCDの歌詞カードを一文字一文字、一生懸命目で追った。そんなふうに音楽と関わっていたころを思えば、今の時代はとても便利。
便利すぎて、音楽への気持ちがふわふわと軽くなっている、気がする。音楽と関わるために少々手間がかかっていた時代の方が、思い入れが強い。そしてその時代、わたしは10代だった。10代で聴いていた曲はそれはもう感性を揺さぶったし、身体に染みついている。脳の奥に、あの曲もこの曲も全部しまってあって、ふとしたタイミングで溢れてくる。
昔も今も、素晴らしい音楽はたくさんあって、時代なんて関係なく聴くことができる音楽が本当に好きだ。だから、これまで聴いた音楽だけで満足せず、これからも新しい音楽を探していきたいと思う。いくらでも出会いたい。どれほど便利な時代になっても、そういう気持ちを持ち続けないと、もう自発的にわたしのアンテナは働かない。若さや感度は日々、失われていくから。
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今日は、新宿のタワーレコードでodolのインストアライブを観た。多分、1年前くらいに偶然タワレコで視聴した『GREEN』が印象に残って、家に帰って他の曲も動画サイトで視聴して、『years』を聴いて、泣いた。ミュージックビデオもすごく素晴らしい作品。地元の友人やお世話になったひとたち、なかなか会えなくなってしまった元同僚…曲を聴きながら、わたしという人間をつくってくれた人たちの顔が、次々に浮かんだ。会いたい、と思った。ああ、いい曲だなと素直に思った。心が動く、そんな音楽だった。ああ、わたしはまだ音楽と出会えるんだと、そう思った。
そんなバンドだから、直接この目で観て、耳で聴きたいと思った。CDを買って、手元に置いておきたいと思った。すごく感動しました、新譜もよく聴いていますと本人たちに伝えたかったけど、緊張してせっかくのサイン会でもそんなことは一言も伝えられなかった。こういうときくらい頑張ってくれ、わたしのコミュ力…。
ライブは、6人のメンバーが編成を変えながらの、シンプルな、だからこそストレートに歌詞や音が伝わるライブだった。『years』が聴けると思っていなくて、曲の冒頭からグッときて、気を抜いたら涙腺が緩みそうだった。あっという間の30分。素敵な時間をありがとうと、バンドの皆さんに伝えたい。
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これからも、素晴らしい音楽に出会えますように。見つけられますように。触れられますように。伝わりますように。
2018年4月2日(月)
桜もだいぶ散り、木々の緑が揺れる。外に出ると空気が気持ちいい。でも、どことなく不安な気持ちにもなる。春は不安定。上京して10年目を迎えるけど、上京したころ感じていた、ワンルームのアパートでの心細さはいつまでたっても忘れない。ぼんやり眺めていた白い壁、白い天井が頭の中に再生される。もうあのアパートに住んでいた時間より、今の場所に引っ越してからの時間の方が長くなってしまった。大家さん元気にしているかな。
友達から連絡が来た。自分と似たような、うっすらした辛さを感じているらしい。春なのにね、色々変化もあるしね。社会人歴もだいぶ長くなったし、仕方ないよね。ぼちぼちやっていこうと励まし合う。バンプを聴いて生き延びるよと言っていた。わたしも、明日の朝はラフメイカーを聴きながら地下鉄に乗ろうと思う。
頑張らなくていいよ。それなりで。
2018年2月27日(火)
土曜日に、久しぶりに学生時代の友人たちに会って楽しく過ごしたからか、日曜の夜の憂鬱感たるや凄まじかった。先週上司に言われた言葉を重たく受け止めてしまい、心のなかに鉛を抱えているようだったが、なんてことない、仕事に行って昨日今日と過ごしてみたけどそんなこと忘れていた。それなりに忙しくはしているけど、ほどほどにという意識を持つようにしたことと、慣れのせいかなんとかやっている。本当は、平日の夜に写真に関するあれこれ(ブックをつくったり、、)に取り組みたいけれど、週末に時間をかけてばーっとやるほうが集中できるのかもしれない。という言い訳でもあるんだよな…。頭がもっとさくさく動けばいいのに。
2017年12月6日(水)
「今日、少し粉雪降ったよ」
地元の友達から連絡が来た。高校生の頃は、冬にも関わらずよくあんな短いスカートをはいて寒くなかったよなぁ。いや寒かったけれど、それは我慢できないほどのものではなかったし、なんてったって若かった。
雪が積もった日、クラスの男の子たちは昼休みに校庭に出て走り回っていた。誰かが持ち込んだ雪が教室の床に溶けていて、「雪持ち込んだの誰やてー!」と怒った女の子の声はどこか楽しそうだった。
冬になると着ていた、お気に入りの少し大きめの黒のカーディガン、どこにいったっけな。あの頃レミオロメンの粉雪が流行っていて、毎日のようにテレビやラジオで流れていたような気がする。イントロが頭の中に流れてくると、真っ黒な頭の中は灰色の空になる。そして静かに降ってくる。
粉雪…ああまたそんな季節か。
少し思い出にひたる夜。
2017年11月27日(月)
帰り道、ふと山の匂いがした。地元の、春が近づくと香る、山の草木の匂い。そんなまさかと思ったけど、あれはいったいなんだったんだろう。ふと頭に流れてくる音楽のようだった。いつか見た情景を連れてくるような感覚。
最近、知人が参加する写真展をいくつか観に行く機会があった。ご本人とも数年ぶりの再会。いい意味で変わっていない作風にほっとする。コツコツと地道に制作を続けてきたのであろう、わたしの知らないその人の時間の蓄積。
続けてくれていてありがとう、と思う。写真を、表現を続けてくれていたからこそ、また会うことができたし、考えさせられることも多々あった。続けていれば、どこかでまた会える。見つけることができる。
だから、わたしも辞めたくはないな。
2017年10月23日(月)
過去に撮影した写真を見ていたら、なんだか胸がぎゅっとなった。
ああ、あのときこんな表情をしていたのかきみは。苦しくとも、頑張っていたんだね。多くの人たちは晴れの舞台しか知らないし見ない。でもきっとそんなことよりもっと大事な何かに向かって、きみは走り続けていたのだろう。
わたしも、彼らの人生のほんのほんの一瞬しか見ていないし知らない。そのほんのほんの一瞬かもしれない時間、約14分だったり29分だったり60分だったり、そこに凝縮されたパワーのようなもの、オーラ、それが見たくて足を運んでいる。トラックへ、ロードへ。箱根駅伝まであと71日だそう。風邪や怪我には気をつけて。
2017年9月4日(月)
会いたい人に会うのは実はそんなに難しくない。便利な時代だ、スマホのボタンをポチポチポチと何度か押せば、遠くの街に住むあのひとにもあの子にも連絡をとることはできるはずだ。できるはず。
なのに、そのポチポチポチが難しい。会いたい理由なんて、「会いたいなぁ」だけなのにな。話したいなぁ。元気にやっていますか?
「いつか行くね」なんて、その「いつか」を決めなければ永遠にこないのにね。「いつか」は勝手にやってくるような気がしてしまう。そうして知らぬうちに歳をとって、糸はどんどんぼやけて切れそうになってしまう。
寒くなる前に、雪が降る前に、お土産持って、あの子に会いに行きたい。
2017年4月16日(日)
高幡不動駅の近くにある喫茶店へ行った。席につくと、自由にコメントが書けるノートが置いてあり、パラパラとめくってみた。老若男女、色んなひとのコメントがある。そのなかでも、ひとつ印象に残ったページがあった。
四年間過ごした東京を離れることになり、寂しい。楽しいことも辛いこともあった。またコーヒー飲みにきます、というような内容。これだけ簡潔にまとめると伝わらないと思うけど、その人の字、文章から、人となりや新生活への期待と不安、東京で過ごした日々への想いが伝わってくる気がした。そのコメントの日付は3月。もう、そのひとは高幡不動を離れ、違う場所で生きている。どこか遠くの街で過ごす、顔も名前もわからないあなたへ。きっと東京で過ごした以上の素晴らしい日々が待っているよ。直接話すことはできないけど、わたしはあなたが毎日、元気で楽しく過ごせるといいなぁと思います。いつかこの喫茶店で、お会いできたらいいな、なんて。
2017年4月5日(水)
ぽかぽか陽気で気持ちがいい。春は、なんだかいつもより軽やかに1歩踏み出せるような気がする。それは、暖かさのせいもあるんじゃないかな、と思う。
歳をとるにつれて、身体の冷えを実感するようになった。特に足のつま先や手の指先。最近は、外でお茶する時はなるべく温かい飲み物を飲むようになった。嫌でも身体の衰えを感じるので、なるべく身体に優しいことをしたいと思う。
そんなんだから、余計に、春の訪れが嬉しい。程よい太陽の光のなか、ベランダに出てシーツを干す。良いことがあってほしい。きっとある。
2017年3月4日(土)
上野に用事があり、済ませたあと上野公園に行った。少し桜が咲いていて、携帯やカメラで写真を撮っているひとたちがいた。ゆっくり息を吸って吐くと、ああ春だ、と思う。日も長くなってきたし、何駅か歩いてみようと歩きだし、結局田端まで歩いた。いい運動になった。学生の頃、サークルでこの辺歩いたなぁと懐かしい記憶が甦る。適当に歩いていても、見覚えのある道に何度も出会った。新しい建物も見つけた。近くに住む友人の顔を思い出していく。電話したら、いるかな。忙しいよな。結局、そうして会いたいひとたちに会うのも後回しにしていってしまう。いつだって会えると思いながら、あっというまに時は流れる。会おうよ、って、連絡しよう。
2017年2月28日(火)
2年ぶりに現地で観戦した東京マラソンには、胸がじわっと熱くなった。大学生だった選手が社会人になり、マラソンに挑戦していく。わたしたちは晴れの舞台しか目にすることはできない。結果を出すか出さないか、そのどちらかでしか評価されない彼らのスポーツ人生の、ほんの一瞬だ。がんばれっていくら叫んでも、彼らの力になるのかどうかは分からない。けれど、がんばれって叫ばずにはいられない。がんばれ、負けるな、もう少し…。ああ、自分にはできない。苦しいのに、我慢して、努力して、報われるかもわからないのに、それでも何かしらの目的があって、走り続ける。わたしにはできない。だからまぶしい。彼らのなかにつもり積もってゆく、光。とても美しい、走る姿。
見ていたいと、そう思ってしまうんです。
2017年2月24日(金)
河川敷を歩いていたら、ウォーキングをしていた見知らぬおじさんに、「あそこの階段の辺からね、スカイツリーが見えるよ」と声をかけられた。「えっ本当?ありがとうございます」とお礼を言って、その場所まで歩いていくと、確かにビルとビルの隙間からスカイツリーが見えた。数メートル先でも後ろでも、微妙にビルの影になってしまうため、言われなければ気づかなかったと思う。わたしがカメラを持っていたから、話しかけてくれたのかな。
自宅マンションに帰り、エントランスに入ったところで、住人のひとに会って挨拶をした。エレベーターを上がり、荷物を持った手であわあわと鞄から鍵を取り出していると、先ほど挨拶をしたお姉さんがやってきて、「あ!」と声をあげた。おとなりさんらしい。「ちょっと待っててください…」とお姉さんは慌てて玄関のなかに入っていき、紙袋を持って戻ってきた。「最近子どもが産まれまして…夜泣きとかでご迷惑をおかけするかもしれないのですが…」と言ってぺこりと頭を下げられた。えーーー全然知らなかった!気づかなかった!おめでたいじゃん!と嬉しくなった。調子に乗って「頑張ってください!」なんて言ってしまった。普段、同じマンションの誰ともお付き合いがないけれど、こうしてお話してお互い気遣って、というのもたまにはいいなぁと思う。何かあったら手助けしたい。東京の片隅、そんなに冷たくない日々。
2017年2月24日(金)
写真をやっていてよかったなぁと思うのは、なんてことのない普通の道を歩いているときでも、視線があちこちに向いているので、小さなことも目につくことだ。今日、小さな桜がひとつ咲いているのを見つけた。まだ春は少し先なのに、フライングした小さな薄いピンク。空は夕焼けで、ふとある友人のことを思い出した。わたしと同じように、地方から上京してきたひとのこと。
わたしは、東京へ来てもう何年目だろう。すぐに数字が出てこなくなっていた。とぼとぼ歩いていると、地元の友人からたわいもないLINEが来て笑った。変わらないものは変わらない。そのままであってほしい。変わってゆくものは、望む方向へと向かってほしい。ゆっくりでも確かな方へと、船を漕いでゆけたらいい。
2017年2月20日(月)
バスに乗って出掛けた。途中下車して、時々行く好きな喫茶店に向かったところ、お店はお休みだった。(なんてこった…)と思いつつ、せっかくだからと少し足を伸ばし、別のカフェへ向かった。初めて入ったそのお店は、マスターがひとりで切り盛りしていた。注文後、マスターがゆっくり時間をかけて、丁寧にコーヒーをいれてくれた。一緒にチーズケーキも頼んだ。ほどよく甘いチーズケーキに、後味がすっとしたおだやかで美味しいコーヒー。ああ、美味しい。素直にそう思った。ああ、いいなぁって。バタバタしているとき、リフレッシュのために飲むコーヒーも好きだけど、ただ純粋に、コーヒーを楽しむ時間。カフェイン中毒だ~なんて言いながら、手当たり次第コーヒーを飲んでいたころを、ふと思い出した。時間は巻き戻せないけど、今日このコーヒーに出会えてよかったなと思う。雨の日が少し楽しくなった。
2017年2月17日(金)
以前勤めていた会社に、久しぶりに顔を出した。自分がいた部署の先輩の、くしゃっとした笑顔を見て、すごく懐かしい気持ちになった。ホッとした。他部署のひとたちにも何人か会うことができて、「いつ戻ってくるの?」なんて冗談で聞いてくるひともいた。わたしの顔を、名前を、覚えていてくれたことが嬉しくて。ああ、ここにいたなぁとしみじみ思った。もう1年も前のこと。毎日バタバタして、あーもう嫌だ!って言いながらも、いつだって誰かが励ましてくれたり心配してくれて、だから乗り越えられた。それまで全く興味のなかった業界だったけど、びっくりするような勢いであれやこれやいろんなお仕事をした。毎日クタクタだったけど、「仕事してるなぁ」という実感を噛みしめる日々だった。
組織を離れてひとりになったら、ただの無力な人間だということを思い知った。必要としてくれるひとたちがいたからこそ、の自分だった。「ありがとう」の言葉で生きられた。帰りに、コンビニに寄ってコーヒーを買った。仕事に行き詰まったときによく買って飲んでたなぁ。懐かしさ、金曜の夜。記憶の引き出しをあちこち開けて、いろんなひとの顔を思い出した。
2017年1月26日(木)
カメラを持って地元をプラプラ歩いていると、「どこから来たの?」と知らないおじさんに声をかけられた。実家のある町名と名字を伝えると、大抵の人は「ああ、あそこの子か」とわかる。「おじさん、63のときにな、酒飲みすぎて倒れて・・・」聞いてもいないのに、そんな自分の過去の話をしてくれた。東京オリンピックを見に行ったという話も。「おじさん、2020年の東京オリンピックは見に行くの?」「さぁなぁ、それまで生きとれるかわからんしなぁ」「ほうか、また行けるとええね。おじさん、体大事にして長生きしてね」「おお、ありがとう」おじさんは片手を上げて、夕暮れの向こうに去って行った。
「どこから来たの?」
わたしは、ここで生まれたんやよ。今は、東京におるんやけどね。